岡崎朋美さん インタビュー
アスリートを強くするものは「ファン」と「環境」
2020/02/05
長野オリンピックのスピードスケートで銅メダルを獲得した岡崎朋美氏は、通算5回のオリンピックに出場して長きに渡ってアスリートとして活動してきた。日本の歴代アスリートとしてもレジェンドと称される彼女だが、現役時代の活動はアマチュアの形態で競技と仕事を両立させる生活を送っていた。世界的にも人気のある岡崎氏は、“朋美スマイル”の陰で現役時代には多くの苦労を重ねていた。アスリートとしての苦楽を知る彼女が考える“理想的なアスリートの活動”とは――
アスリートとして手厚いバックアップを得るため「練習だけでなく会社にアピール」
――現役時代の岡崎さんは富士急行株式会社スケート部(以下、富士急)に所属し、会社員として働きながら競技に打ち込まれていましたが、仕事と競技の両立で苦労されたことはありますか?
岡崎 入社後の数年間は富士急のスケートセンターに配属され、一般のお客様に貸し出すスケート靴の整理や管理などをしていました。その後、いくつかの部署を移り役職にも就かせていただきましたが、基本的には競技を優先させてもらっていました。ですので、両立するために大きな苦労をしたということは、幸運にもありませんでした。
たとえば、ソルトレイクシティオリンピックの直前にケガをして、ワールドカップの日本代表メンバーから外れてしまいました。復活のためには代表チームに帯同して海外で調整すべきだと考え、会社にお願いして遠征をさせてもらいました。もちろん、その際の渡航費や滞在費は自腹でしたが、それが許されるくらいバックアップがしっかりとしていて、富士急にはとても感謝しています。
――アスリートとしては競技を優先させたいでしょうが、それを周囲に認めてもらうのは簡単ではないと想像します。岡崎さんはどのように周囲からの理解を得ていたのでしょうか?
岡崎 手厚いバックアップに報いるためにも、確実に成績を出さなければならないと常に思っていました。そのためにも、ただ練習に打ち込むだけではなく目標に向けて今の自分はどういった状態にあるか、目標達成のためには何をすべきかなどを、紙に書き出して会社に提出してアピールをしていました。必ずしも理想的な競技結果ばかりだったわけではありませんが、嘘偽りなく周囲に発信し続け目標達成に向けて実行していったことで信頼していただけたのかなと思っています。
――必ずしも理想的な結果ばかりではなかったということですが、苦しい場面をどう乗り越えていったのでしょうか?
岡崎 苦労を苦しいと思ってしまうとそこで立ち止まってしまいますから、目標地点に到達するために今があると自分に言い聞かせていました。そうやって難所を越えて高みを目指していくと、自分自身の人間形成にもつながっていきますから。もちろん、私も人間ですから苦難が降りかかるたびに、「またか……」と思いもしました(笑)。ですが、私にしかできないことをやらせてもらっていたわけなので、立ち止まらず目標に向けて一日一日を大切にしていこうと考えていました。
アスリートとファンの心地良い関係「周りの人たちのために」という気持ちで奮起
――アスリートフラッグ財団は「ファンの応援熱量をアスリートに届ける世界の創出」を目指しています。岡崎さんにとって、ファンとはどのような存在でしたか?
岡崎 本当にありがたい存在だと思っていました。スピードスケートの大会は、空港からバスや電車を乗り継がなければならないような場所で開催されることも多いのですが、毎回のようにそのように遠いところまで応援に来てくれる人もたくさんいました。そのなかには、「応援以外の方法でも選手の力になりたい」と言ってくれる人もいました。現在は小平奈緒選手、高木菜那選手、高木美帆選手などの影響もあって、スピードスケートは人気競技のひとつになっています。私が現役の当時は、まだまだマイナー競技の域を脱し切れていませんでした。でも、そのような熱心なファンが応援に駆けつけて、いろいろなところから情報を発信し続けてくれたことが、現在の盛り上がりにつながっているのかなと思っています。
――ファンがいたからこそ、素晴らしい成績を残せたのですね。
岡崎 そう思っています。特に、スピードスケートのような個人競技の場合、どうしても自己満足の世界に入ってしまうんです。でも、「自分のためだけに頑張る」よりも「周りの人たちのためにも頑張る」と考えた方が力を出せると私は考えていました。実際に私が良い成績を出せばファンもとても喜んでくれていました。そういった方々の期待に応えるほど、さらに応援してくれるようになりましたから。
――岡崎さんは今年になってワールドマスターズゲームズへの出場、40代クラスの世界記録挑戦を表明されました。これもファンを思ってのことなのでしょうか?
岡崎 かつて私を応援してくれた人たちだけではなく、同世代の人々にスポーツの楽しさを伝えたいという思いがあります。今の世の中として健康寿命の延伸が重視されていますが、まだまだ運動をしていない人も多いですよね。そうした人たちにスポーツを始めるのに年齢は関係ないと伝えるためにも、世界記録を出したいと思っています。私が結果を出せば、同世代の人々の目をスポーツに向けられるかもしれませんし、それをきっかけにスポーツを始める人が増えるかもしれません。幸い家族も応援してくれていて、むしろ「やるからには確実に記録を出せ」と言われているぐらいです(笑)。なので、みんなの期待に応えられるように頑張りたいと思っています。
アスリートとの新しい関係を築くギフティング「ファンの思いもかなえる良い仕組み」
――アスリートフラッグ財団は「スポーツギフティングサービス」でアスリートの支援を目指していますが、アスリートが最高のパフォーマンスを発揮するためには何が必要だと思いますか?
岡崎 やはり環境が一番だと思います。スピードスケートの場合、冬のスケーティング練習だけではなく、夏場にどれだけ体を追い込めるかが重要です。つまり、施設や金銭面など自分の能力以外の面での不安がなくなれば、安心してトレーニングに打ち込めるはずです。
――活動資金が潤沢ではないアマチュアアスリートが良い環境を得るには、どのようなことをしていくべきでしょうか?
岡崎 たとえば、スポンサーを探す際に現場レベルの人が応援したいと思ってくれていても、稟議を通すのは簡単ではありません。それであれば、トップの人に直接アプローチしていくべきだと思います。直接会って話をすると意外と思いは伝わるものなので、あきらめずにコミュニケーションを取っていく。そして、力添えをいただけたなら、死ぬ気で臨むくらいの気持ちを持って競技に取り組む。そうしたことが必要でしょう。
――アスリートフラッグ財団が考えるギフティングサービスについて、アスリートとしてどう感じていますか?
岡崎 現役時代にファンと話をしていて、「声援を送る以外にできることはないか」「どうすれば真の応援ができるのか」と言ってくれる人もいました。やはり、「アスリートのために何かをしたい」という思いを持ってくれているファンの方々もいらっしゃるんですよね。そう考えると、アスリートの助けになるだけではなく、ファンの思いもかなえるギフティングサービスはすごく良い仕組みだと感じています。
もしも、私が現役の頃にこうしたサービスがあったら、遠征時の子どもや母の帯同費に使わせてもらったと思います。当時は子どもがまだ小さかったので、遠征の際には家族に付き添ってもらっていましたが、そのときの費用は自分で捻出していました。でも、そこの心配や負担を減らすことができれば、練習や試合にもっと集中できていたと思います。
岡崎朋美(おかざき・ともみ)
1971年9月7日生まれ、北海道出身。小学生からスケートを始め、高校生のときにスカウトされて富士急行株式会社に入社。1998年長野オリンピックのスピードスケート500mで銅メダル、1000mで7位という成績を収める。負傷で苦労するなか、2002年のソルトレークシティオリンピックでは500mで当時の日本記録を樹立し、6位に入賞した。2006年のトリノオリンピックでは日本選手団主将を務め、500mで4位に入賞。結婚を経て、2010年のバンクーバーオリンピックにも出場。一児の母となった状況で6大会連続出場を目指したがかなわず、2013年に現役引退を表明した。現在は、スポーツイベントへの参加や講演などからスポーツの発展と普及に向けて活動している。
アスリートフラッグ財団では、アスリートの皆様のスポーツギフティングサービス「Unlim」へのご登録を受け付けています。ご希望のアスリート・スポーツ団体の皆様は、以下からお申し込みください。